もし誰かに私の部屋の写真を見せたら、間違いなく悲鳴を上げるでしょう。それほどまでに、私の部屋は「ゴミ屋敷」という言葉そのものでした。始まりは、ほんの些細なことでした。仕事で疲れ果てて帰り、コンビニの袋を床に置いたまま寝てしまった。そんな日が一日、二日と続くうちに、床が見えなくなるのに時間はかかりませんでした。床が見えなくなると、不思議なことに罪悪感が麻痺していくのです。一つゴミが増えようが、百個増えようが、見た目の惨状は大して変わりません。そうして、私の部屋にあるゴミの数は、私の認識できる範囲を遥かに超えていきました。部屋に積み上がった物の数は、私のストレスの蓄積そのものでした。ネットショッピングで届いた未開封の段ボールが壁を作り、飲み干したペットボトルが床を埋め尽くす。足の踏み場を確保するために、ゴミを端に寄せる。その作業を繰り返すうちに、部屋の真ん中には「獣道」のような細い通路だけが残りました。夜、寝る時は、ゴミの山の斜面に体を預けるようにして横たわります。不衛生だとは分かっていても、片付けるためのエネルギーがどこからも湧いてこないのです。友人からの連絡も、部屋に呼びたいけれど呼べないというジレンマから無視し続け、最終的には誰とも会わなくなりました。私の世界は、数千、数万という不用品に囲まれた数畳の空間に凝縮されていきました。ある日、ふと足元に落ちていた、賞味期限が三年前の菓子パンの袋を手にとった時、急に涙が止まらなくなりました。私は一体、何をしているんだろう。この数え切れないほどのゴミに、私は何を託そうとしていたんだろう。結局、私は自力での片付けを諦め、業者の方に助けを求めました。運び出されるゴミ袋の数を数えていたのは最初だけでした。あまりにも膨大な数に、途中で数えるのをやめました。部屋が空っぽになった時、そこには広い空間が広がっていました。あんなに狭いと思っていた部屋が、本当はこんなに広かったのだと初めて知りました。部屋にある物の数が減るにつれて、私の心に重くのしかかっていた霧が、少しずつ晴れていくのを感じました。今は、自分の管理できる数だけの物に囲まれて暮らしています。あの時の自分にとって、ゴミの山は外部からの攻撃を守る城壁だったのかもしれませんが、同時に私を閉じ込める檻でもあったのです。
私の部屋を埋め尽くした数え切れないほどの不用品