あの日、私は三歳になる娘が、床に落ちた古い菓子パンの屑を拾って口に入れるのを、ただぼんやりと眺めていました。一LDKのマンションは、どこが床でどこがテーブルなのかも判別できないほどの惨状でした。脱ぎ捨てられた服、飲みかけのペットボトル、数日前のレトルトカレーの空き箱。私はいつの間にか、汚部屋主婦と呼ばれる存在になっていました。始まりは、産後うつのような気分の落ち込みだったのかもしれません。最初はシンクに数枚の皿が残る程度でしたが、気づけば家事というタスクの全てが、私にはエベレストを登るかのような不可能な難事業に思えるようになっていたのです。夫は仕事で帰りが遅く、私の惨状を見ても大きな溜息をついて寝室に引きこもるだけでした。怒られるよりも、あの絶望したような溜息のほうが、私の心には深く突き刺さりました。私はママ友からの公園の誘いも、「今日は体調が悪くて」と嘘をついて断り続けました。誰にもこの部屋を見られたくない、私がだらしない人間だと知られたくないという恐怖で、心臓が常にバクバクしていました。夜、娘を寝かしつけた後、真っ暗なリビングに座って、ゴミの山を見つめながら「死にたい」と何度も呟きました。ゴミを一つ捨てるだけのことが、なぜこれほどまでに苦しいのか。自分でも自分が理解できず、狂ってしまったのではないかという恐怖に震えていました。そんな生活が一年ほど続いたある日、娘が熱を出して救急車を呼ぶか迷う事態になりました。隊員が家に入ってきたらどうしよう。その恐怖が、娘の心配を上回ってしまった自分に愕然としました。私はその夜、涙を流しながら、かつて住んでいた実家の母に電話をしました。「助けて、部屋がゴミだらけなの」。喉から絞り出すように出たその一言が、私の再生の始まりでした。母は翌日、大きなゴミ袋を抱えてやってきました。私の部屋を責めることもなく、ただ黙々とゴミを袋に詰めていく母の背中を見て、私は何年かぶりに声を上げて泣きました。あの日々を振り返ると、あの汚れた部屋は、私の孤独と助けを求められない不器用さの象徴だったのだと痛感します。
私がゴミの山で子育てをしていたあの暗い日々の記録